兄貴


先日ウィジャボードという馬が国際レースである香港ヴァーズで優勝した。この馬の騎手はキーレン・ファロン。僕が大好きな騎手だ。今は世界のA.オブライエン厩舎の主戦騎手として海外の大レースを勝ちまくり、華やかな世界に身をおいているが、僕が会った2002年当時、(もちろんイギリスの首位騎手ではあったのだけれど)かなり地味な人だった。

彼と最初に会ったのはホテルのスイートルーム。当時僕は海外からジャパンカップに招待された競馬関係者のお世話をする仕事をしていて、その部屋は一日中いろんな人が訪れてきた。そして、その競馬関係者の中で一番最初に部屋を訪れたのが彼だった。暇だったのか、片言の英語の僕相手に色々と話しかけてきた。『自分もアイルランドなまりがひどいから気にするな』とか言って。ほとんどはたわいもない話だった。ここのホテルのレストランは高いだとか、そうじゃないとか。誰か他の人が部屋を訪れると逃げるように彼はいなくなった。それでも毎日照れくさそうな表情をしながら彼は部屋を訪れた。いつの間にか年の離れた兄貴のような感覚を僕は彼に抱いていた。

ジャパンカップが目前となったある日、彼の乗る馬の馬主と調教師(両方とも貴族)が来日する日だった。その日はホテルでパーティーがあり、彼も参加することになっていた。彼は昼からパーティーを嫌がっていた。レースについて命令されるのがイヤだという。なんだかかわいいと思った。

レースは残念な結果に終わった。世界一のジョッキー、デットーリの独り舞台だった。デットーリは彼とは対照的に華やかだった。でも、僕は彼の方がなんとなく好きだと思った。

レースが終わって4日後、大阪のパーティー会場に彼はいた。そこでNHKの世界の競馬の取材があった。タレントの谷原章介さんが彼と腕相撲をしたいという。そのために谷原さんは1ヶ月トレーニングしたのだとか。谷原さんは色男だった。悔しいくらいキラキラしていた。こんな優男に兄貴が負けるはずない。心配は要らなかった。軽〜くひねってた。最後は2人の握手のカット。やっぱり兄貴は地味だった。スーツが全然似合わない。

そのまた3日後、彼と別れる日がやってきた。”また来春に会おう”と彼は言ってくれた。しかし彼が春に日本にくることはなかった。アルコール依存症だった彼は、治療のため病院に長期入院してしまったのだ。退院後大レースに勝ちまくったが、八百長疑惑で逮捕されたり相変わらず波乱万丈の人生を送っていた。彼は八百長なんてやってないと思う。だって命令されたり指示されるの大嫌いだから。

そして今年の11月、彼は日本にやってきた。残念ながら彼に会う機会がなく、遠く北九州から彼に声援を送った。しかし彼は勝てなかった。その後彼とウィジャボードは香港へ。そして香港ヴァーズに優勝した。

あれから3年。兄貴は僕のことを覚えているだろうか。あのアイルランドなまりは相変わらずだろうか。お酒はやめたのだろうか。まだスーツの趣味は悪いのだろうか。熱燗を飲みながら、また、あの照れくさそうな表情を見たいと思う年の瀬なのでした。